兵どもが夢の跡 ~郡山城・其之壱~
約20年ぶりに毛利元就様の居城、郡山城跡(広島県安芸高田市吉田町)に行ってみました。
城巡りを始めて一番最初に訪れた城なので特に思い入れのある場所です。
山の麓にある少年自然の家では毛利元就様がお出迎え。
以前訪れた時は石像でしたが、今は銅像っぽく生まれ変わっています。
この道を上っていくと駐車場があります。
各所に置いてあるパンフレット。
この地図上では⑮付近が駐車場です。
今回はこのパンフレットを基に時計回りで巡って行こうと思います。
まずは出発点の⑮番。
郡山城の内堀(薬研堀)跡だそうです。
確かにV字形をしていますね。
この場所からは郡山合戦の古戦場が一望できます。
現在は家々が立ち並んでいますが、当時は水田が広がっており攻防の場となったそうです。
ここで尼子晴久軍と戦いを繰り広げたんですね~。
・・・と、到着早々歴史のロマンに浸ってしまいましたww
駐車場のそばには鳥居が建っています。
ここが城の入り口でしょうか?
他に入れるような道もないので、ここから進んでみましょう。
足元にはこんな看板が!!!
気をつけながら進みましょう。
舗装されているので山城っぽくないですが、とりあえず進んでみましょう。
しばらく進んでいくと
階段と石垣が姿を現します。
先程の地図の⑰番地点、毛利一族の墓所のようです。
毛利一族墓所
近くまで行って確認してはいないのですが、先祖合墓(初代時親~八代豊元までの合葬)、興元(元就の兄)、幸松丸(興元の長男)、隆元(元就の長男)の妻の墓があるみたいです。
毛利元就墓所
一族の墓より一段高い場所に元就の墓があります。
中国地方平定という偉業を成し遂げただけあって、扱いが別格なんですね。
⑯百万一心碑
墓所の向かい側には百万一心の碑があります。
郡山城の改築で工事が難航したときに、人柱の代わりにこの言葉を彫り込んだ石碑を埋めたと伝えられています。
「一日一力一心」と読めるように書かれていて、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、皆で力を合わせれば何事も成し得るという一致団結の大切さを訴えた教えだと言われています。
ここで行き止まりのようですが・・・
墓所の脇にひっそりと登山口の案内板があります。
あまりにも目立たないので見落としてしまうところでした。
ではここからが本当の攻城戦!
本丸目指して進軍開始です!
最初は石畳のような道が続いていましたが
そのうち遊歩道のようになり
周囲は藪に覆われていきます。
なんと鹿とも遭遇!
城巡りをしていて鹿を見たのは初めてです。
歩みを進めるたびに鹿の警戒音が鳴り響いていたので、かなりの数が生息しているものと思われます。
熊じゃなくて良かった^^;
道が細く崖のようになっている所もあるので、落ちないように気をつけながら進みましょう。
ようやく目の前が明るくなってきました。
ここを登ると、
⑥御蔵屋敷
山道を15分近く登ってきたでしょうか。
やっと最初の曲輪に到着です。
ここから本丸を取り囲むように曲輪が展開しているみたいなので、巡っていきましょう。
④釣井の壇
井戸のある曲輪です。
現在は枯れていますが、城内に残る石組みの井戸としては唯一のものだそうです。
⑤姫の丸
本丸の北の要所となる曲輪です。
幕末にここで百万一心石が見つかったという伝説が残っています。
ここで小休止。
現在地を確認するとこんな感じです。
それでは次の曲輪へ向かいましょう。
釜屋の壇
ここはかなり狭い曲輪ですが、
奥へと曲輪が連なっています。
道は整備されていませんが行ってみましょう。
堀切を抜け
藪を抜けた先には
羽子の丸
本丸の北東に突き出すような形で曲輪が存在します。
いくつもの曲輪で防御を固め堀切で隔てられていたことから、ここだけでも城として独立しうる機能をもっていたのではないかと考えられています。
来た道を釜屋の壇まで引き返し、次の曲輪へと向かいます。
釜屋の壇から羽子の丸までかなりの高低差があったので、引き返すのも一苦労です💦
厩の壇
名前の通り厩舎があった場所と考えられています。
②三の丸
写真では広さは伝わりませんが、城内で最大の曲輪です。
③三の丸の石垣
周囲を石垣で囲まれていることから、この部分が郡山城の中では最も新しい時期のものであったと考えられています。
輝元(隆元の息子)時代の改修により整備されたそうです。
二の丸
奥の一段高くなっている部分が本丸です。
ようやく本丸が見えてきました。
①本丸
元就が山全体を要塞化した後に本丸となった場所で、元々の本丸は別の場所にあったそうです。
ここに城主の館があったと考えられており、左側の一段高くなった場所は櫓台だそうです。
攻城を開始して約1時間・・・。
やっと本丸を攻略できました。
今回はこんなルートで回りました。
羽子の丸への往復がかなりキツかったですね💦
(わざわざそこまで行った自分の責任なのですが・・・w)
下山は別ルートを通ろうと思います。
(しかしこの先にさらなる過酷な行程が待ち受けていようとは、この時は知る由もなかったのである)
次回へ続く・・・。
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