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兵どもが夢の跡 ~郡山城・其之弐~

郡山城攻めの後編です。







今回はこのルートで下山していきます。






まず最初に通るのが、

勢溜(せだまり)の壇

何段もの曲輪からなる大きな曲輪群です。

本丸に近い位置に作られていることを考えると、本丸を防衛する機能を持っていたのかもしれません。


石垣で防御を固めていることから、重要な拠点だったことが覗えます。






勢溜の壇を過ぎ坂道を下っていくと、






満願寺跡方面への案内板が建っています。

登城ルートからは外れてしまいますが、せっかくなので行ってみましょう。






⑦満願寺跡

築城以前から存在していた寺院の跡だそうで、礎石や池が残っています。

(地面がぬかるんでいるので足元には注意です。)




さらに奥にも曲輪があるようなので行ってみましょう。






妙寿寺曲輪群

登城ルートから外れているだけあって、道がほとんど整備されていません。

道なき道を進んでやっと到達したという感じです。

このコースアウトでかなり体力を消耗してしまいました💦






来た道を正規ルートまで引き返し下っていきます。






尾崎丸

毛利隆元が住んでいたと伝わる曲輪です。


⑧尾崎丸の堀切

羽子の丸と同様堀切で隔てられていて、独立的な曲輪となっています。






さらに下山していくと、






旧本城への案内板が・・・。



地図を見る限りではかなりの距離がありそうですが、見つけてしまったからには行くしかありません^^;






藪の中を進んでいくと、






!!! これってもしかして熊の爪痕!?

あな恐ろしや!





急勾配の斜面を下っていきます。







もうどこが道なのかわからなくなってきました。







本当にこの道で合っているのでしょうか・・・不安になってきました。






案内板発見!

どうやら合っているようです。






ようやく道の先が明るくなってきました。




ここを登ると、





⑨本城の本丸

鎌倉時代の終わりから毛利元就が城を拡張するまで約190年間毛利家の本城だった場所です。


やっと到達しました。

長かった~!

もうクタクタです(>_<)




本丸から下を覗くと階段状に曲輪が連なっていて、



二の丸や



三の丸と思われる曲輪が見られます。



案内板があった場所からかなり歩きます。

足場の悪い山道を上り下りするので、もし行かれる際は覚悟を決めておいてください^^;


ここで行き止まりのようなので、来た道を引き返します。




足場の悪い山道を登るのがかなりツライ!

これはもう拷問です!(>_<)

(わざわざここまで来る選択をした自分の責任なので仕方ないです)






ふぅ・・・。

やっと元の道に戻ってきました。

下山再開です。







⑩興禅寺跡(郡山公園)

毛利氏時代には寺があったそうですが、大正時代に公園として整備されたみたいです。







⑪清(すが)神社

鎌倉時代から建っている歴史ある神社だそうです。


境内には杉の巨木が立ち並んでいます。







常栄寺跡

毛利隆元の菩提寺だそうで、現在は山口に移転しているそうです。





近くには、

⑭毛利隆元墓所

があります。

墓石には「大膳大夫従四位下大江隆元朝臣之墓」と刻まれています。

大江広元の末裔なので大江姓を使っているのでしょうか。


若くして亡くなったのが悔やまれる逸材です。




ここを過ぎると出発点の駐車場へと戻ってきます。







下山で歩いたルートはこんな感じです。

登りよりかなりハードな行程となりました。


今回登山開始から下山まで攻城にかかった時間は約3時間、歩数は約1万歩です。

20年前に来た時はもっと楽だったような・・・。

昨今のお城ブームで整備が進んだのでしょうか。

なかなかに攻め応えのある城跡でした。






ちなみに広島城には郡山城の復元模型があり、山全体が要塞化されていた様子を見ることができます。

これは攻め落とせませんわ^^;




郡山城の山麓にある安芸高田市歴史民俗博物館には、元就時代の書状(複製ですが)などが展示されていて興味深かったです。

郡山城に行かれた際はセットで訪れてみてください。






余談ですが・・・






博物館の外には力石が展示されていますww

港町だけにあるのかと思っていましたが、ここでも使われていたんですね。

尾道や鞆の浦のものと比べると比較的小さいです。


簡単に見つけられるので探してみてくださいね。

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