兵どもが夢の跡 ~郡山城・其之弐~
- Ricky
- 2020年8月1日
- 読了時間: 3分
郡山城攻めの後編です。

今回はこのルートで下山していきます。
まず最初に通るのが、

勢溜(せだまり)の壇
何段もの曲輪からなる大きな曲輪群です。
本丸に近い位置に作られていることを考えると、本丸を防衛する機能を持っていたのかもしれません。

石垣で防御を固めていることから、重要な拠点だったことが覗えます。
勢溜の壇を過ぎ坂道を下っていくと、
満願寺跡方面への案内板が建っています。

登城ルートからは外れてしまいますが、せっかくなので行ってみましょう。

⑦満願寺跡
築城以前から存在していた寺院の跡だそうで、礎石や池が残っています。
(地面がぬかるんでいるので足元には注意です。)
さらに奥にも曲輪があるようなので行ってみましょう。

妙寿寺曲輪群
登城ルートから外れているだけあって、道がほとんど整備されていません。
道なき道を進んでやっと到達したという感じです。
このコースアウトでかなり体力を消耗してしまいました💦

来た道を正規ルートまで引き返し下っていきます。

尾崎丸
毛利隆元が住んでいたと伝わる曲輪です。

⑧尾崎丸の堀切
羽子の丸と同様堀切で隔てられていて、独立的な曲輪となっています。
さらに下山していくと、

旧本城への案内板が・・・。

地図を見る限りではかなりの距離がありそうですが、見つけてしまったからには行くしかありません^^;

藪の中を進んでいくと、

!!! これってもしかして熊の爪痕!?
あな恐ろしや!

急勾配の斜面を下っていきます。

もうどこが道なのかわからなくなってきました。

本当にこの道で合っているのでしょうか・・・不安になってきました。

案内板発見!
どうやら合っているようです。

ようやく道の先が明るくなってきました。
ここを登ると、

⑨本城の本丸
鎌倉時代の終わりから毛利元就が城を拡張するまで約190年間毛利家の本城だった場所です。
やっと到達しました。
長かった~!
もうクタクタです(>_<)

本丸から下を覗くと階段状に曲輪が連なっていて、

二の丸や

三の丸と思われる曲輪が見られます。
案内板があった場所からかなり歩きます。
足場の悪い山道を上り下りするので、もし行かれる際は覚悟を決めておいてください^^;
ここで行き止まりのようなので、来た道を引き返します。

足場の悪い山道を登るのがかなりツライ!
これはもう拷問です!(>_<)
(わざわざここまで来る選択をした自分の責任なので仕方ないです)

ふぅ・・・。
やっと元の道に戻ってきました。
下山再開です。

⑩興禅寺跡(郡山公園)
毛利氏時代には寺があったそうですが、大正時代に公園として整備されたみたいです。

⑪清(すが)神社
鎌倉時代から建っている歴史ある神社だそうです。

境内には杉の巨木が立ち並んでいます。

常栄寺跡
毛利隆元の菩提寺だそうで、現在は山口に移転しているそうです。
近くには、

⑭毛利隆元墓所
があります。
墓石には「大膳大夫従四位下大江隆元朝臣之墓」と刻まれています。
大江広元の末裔なので大江姓を使っているのでしょうか。
若くして亡くなったのが悔やまれる逸材です。
ここを過ぎると出発点の駐車場へと戻ってきます。

下山で歩いたルートはこんな感じです。
登りよりかなりハードな行程となりました。
今回登山開始から下山まで攻城にかかった時間は約3時間、歩数は約1万歩です。
20年前に来た時はもっと楽だったような・・・。
昨今のお城ブームで整備が進んだのでしょうか。
なかなかに攻め応えのある城跡でした。

ちなみに広島城には郡山城の復元模型があり、山全体が要塞化されていた様子を見ることができます。
これは攻め落とせませんわ^^;
郡山城の山麓にある安芸高田市歴史民俗博物館には、元就時代の書状(複製ですが)などが展示されていて興味深かったです。
郡山城に行かれた際はセットで訪れてみてください。
余談ですが・・・

博物館の外には力石が展示されていますww
港町だけにあるのかと思っていましたが、ここでも使われていたんですね。
尾道や鞆の浦のものと比べると比較的小さいです。
簡単に見つけられるので探してみてくださいね。
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